春日先生インタビュー

どんな困難にも負けず、優しく愛情深く私を育ててくれた父母への
「ありがとう」が私の原点です。

大好きな父と国鉄時代の赤羽駅で 父親の倒産をキッカケに・・・・司法書士になることを志しました。
私は元々小学校の教師になる事が夢でした。父親は小さな町工場を経営していましたが、私が高校生の頃に倒産しました。今の時代のような倒産処理ではなく、債権者会議も自宅で行うような形で、苦しさを目の当たりにしました。
その事で、受験どころではなくなってしまい、「一体どうしたら良いだろう…」と悩んでいました。ある日新聞の求人欄を見ていたら「法律事務所、職員募集」というのを見つけ応募してみたのです。
法律事務所なら堅い職場で安心かと思ったのです。
当時はテレビにも出演されていたような有名な弁護士事務所で応募人数は50人は居たそうです。
そこで、たまたま私は面接の順番が一番でした。その事がキッカケかは定かではないのですが、面接に合格し働かせて頂く事になりました。これが司法書士への第一歩だったのです。

「恩師との出会い、司法書士試験を受験」

そこの事務所には80歳代で、ほぼ弁護士は引退していたのですが、一日2時間くらい事務所に顔を出す大先生がいました。冤罪事件をすごく手がけてらしたそうですよ。
ある日その先生に「電話の取り方も素晴らしいし、応対も素晴らしい、字もとってもいい字を書く。ここにいたら、もったいない。君は法学部で勉強して、司法試験に挑戦したらどうだ?」と言ってくれました。それで私は働きながら、行ける学校を探して、当時、明治大学が駿河台で夜間の法学部っていうのがあり、働きながら勉強して、無事司法書士の資格を取る事が出来ました。
そして数年間事務所で働き、赤羽法務事務所を開きました。

「"一所懸命生きる事"これが私のポリシーです」

春日先生人にはそれぞれ与えられた役割があると思っています。
自分の与えられた役割を果たして、一所懸命生きていくと言う事が、私のポリシーですね。
人を信じ、人を愛する。
人生は生きるに値するものだという事を常に念頭に置きながら自分の与えられた役割を精一杯果たしていく事が大切だって思います。

「苦しみを肌で感じているから救いたい」

父親の会社の倒産は、それは修羅場でした。私はその苦しみを知っているからこそ司法書士となり、同じ境遇、経験をなさっている方に自分の役割を伝えたいと思っております。
家族同士でお金の喧嘩をしてしまう苦しみっていうのは、本当に肌で感じてきています。
良い時というのはこう人が寄ってきますが、悪くなると蜘蛛の子を散らしたようにスーッと人が居なくなってしまう。
そういう経験も私はまだ高校生でしたが現実として見ていました。
それでも立ち直る事、立ち上がる事、私は出来ました。
それには周りの人の支えや協力も必要でした。
社会にとっては「石ころ」のような私に、価値を見い出してくれた人達に今でも感謝の気持ちで一杯です。

「一所懸命生きている背中を見せてあげれば良い」

とてもポジティブな話ですが、私は相談に来てくださった方たちに、自身の経験談を話します。
そうする事で相談者も話してくれる。
その中には、債務整理する事で子供に迷惑が掛かるのではないか…という悩みもあります。
それについて私は「一所懸命生きる親の背中を見せればいいじゃない、子どもは子どもでそこから学びとって、世の中どんなに薄情かってことも解るだろうし、お金の苦労も解るだろうし、それをたくましく生きている親の姿を見せるのが一番の教育じゃないですか」と親御さんに伝えると、「先生もそうだったんですか?」と、おっしゃってくれます。
だから今は私自身の経験が、予期もしなかったですが、この仕事にすごく生きてるな、と思っております。
時には相談者の方が、とてもひたむきに生きてられていて…大丈夫ですよ、と言って抱きしめてあげたくなる時もあります。
「大丈夫、私だってできたんだから、あなたも大丈夫」まさに“人間万事塞翁が馬”です。

相談者の方から頂いた絵画やお手紙など

  • 相談者の方から頂いた絵画やお習字
    法学部へ進学が決まった時、
    恩師から頂いた色紙
    「己を尽くす」
  • 相談者の方から頂いた絵画やお手紙
    相談者から頂いた感謝のお手紙
  • 相談者の方から頂いた絵画
    事務所を飾る相談者から
    贈られた素敵な絵画
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